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鐵砲虫といへば、不思議な事がある。をとどし枯れたポプラを薪にしたところが、中には澤山のかみきり虫の幼虫が入つていて、木もこれでは生きられないと思う程だが、中に立派なかみきりの成虫が入つていた事だ。若しかしたら、冬眠の爲に元の穴へむぐり込んで死んだのかとも思う。蜂、虻は朽木のうろなどに冬を隱れているものだが、かみきりも越年するかどうか。

「あ、」

「俺が山田だ。」

空疎な興奮でもなく、平板な執務でもなくして、生活は一つの計画ある営みである。一定の出発と一定の目的とを有つ歩みで常にあるであろう。この意味に於て、歩みは道を逐うて運ばれなければならない。一切の生活に於けるこの特色は、恰も方法という言葉によって代表される。吾々のどのような労作に於ても、方法は根本的な意味を有つ。独り学問の研究に於てばかりではなく、芸術的感覚を完成するにも、人間的性格を育て上げるにも、又その他どのような場合にも、根柢に方法が働いていないとは考えられない。中にも学問の研究にとっては、最も方法が重大でなければならない。学問を真に自己のものとしようとする時、云い換えれば、実際にみずからその学問を追究し自己にとってその学問がもつ必然性を検証しようとする時、方法が吾々にとって問題とならずにはおかない。方法がそれ自身に依って――例えば方法論というような話題に促されてではなく――問題となるのは恐らく、その学問の前途を祝福して野心ある計画を持とうと欲する時とか、それでなければ、その学問の現状に疑いを懐いて去就を決し兼ねるような場合であろう。何となれば、吾々がある学問の特徴を見抜き見極めるのに役立つのは、雑多な末梢的博識ではなくして、正に方法を中心とした中枢的把握である他はないが、かくて把握された方法的理解は初めて、その学問が持つ第一義に優れた特色――性格――を吾々に示すことが出来るからである。又吾々はこの性格を捉えてこそその学問を批判することも出来るのである。任意の、手当り次第の、又は他からそのまま受けとった、一つの特色を持ち出し、又は或る特色自身にとっては偶然であるような視角からその特色を取り扱うことは、少しも批判の名に値いすることではない。たとい論構がどれ程緻密であっても、見当を――又性格を――逸しているならば、そこに取り扱われた問題は批判されたことにはならない。方法的理解のみが学問の性格を明らかにしその批判を可能ならしめる。

さて今、学問性の実践的規定を求めることが吾々の目的となった。そして元来吾々は方法概念から学問概念への推移の動機として已にこの実践性を持ったのであった。

加来さつきから、だいぶん、人が来るやうだが、見舞客なら、いちいち取り次がなきやだめだよ。会ふ必要のある人物もいるから……。

そして両極たる征服階級と被征服階級との中間にある諸階級の人々は、原始時代のかの知識者と同じく、あるいは意識的にあるいは無意識的に、これらの組識的暴力と瞞着との協力者となり補助者となっている。

科学方法論を私は、学問論乃至科学論の一つの特殊な形態として取り扱うべきであると考える。学問の方法を中枢とした限りの学問理論こそ、恰も科学方法論の名を以て呼ばれているものであり、そして又そう呼ばれることが丁度それに適わしいと思われるからである。それ故吾々は、この書物に於て、まず学問に於ける方法概念の分析から出発する理由をもつ。方法概念の様々の形態、従って又科学方法論の様々な形態は、茲に一般的に予め展開せられるであろう。「方法概念の分析」二篇は吾々の理論に於て、総論の位置を占めると云って好い。

オレはどうも周期的に遠くに行きたくなるらしい。この前の時は、確か三年前だ。その時はまだ二十代だったから、オレは何も考えずに旅に出た。会社の中でも責任のある仕事はしていなかったし、何よりもオレは我慢することが嫌いだ。我慢を強いられるくらいなら、仕事を辞めてしまっただろう。

この実践的動機は、方法が何であるかという理論的な問題から、必然的に、如何にして方法を求めるかという実践的問題を呼び起こさなければならない。というのは吾々が、この動機を溯る時、之が必然であるのである。

いじらしい許りの自己紹介だった。

**Schelling-SystemdestranszendentalenIdealismus.

「脱走したくなるのはこんな時だなア」

看護婦わたくしが差しあげようとしても、なんにも召しあがりませんのですが、奥さまが無理におすすめになりますと、それでもいくらか……。
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